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乱調清香島事件・真相編

乱調清香島事件・探偵編

(真相編)

探偵は、ニヤリと笑みを浮かべた。
悪魔のような邪悪な笑みだった。

「ほう、十戒ね」

「……そうです」

「それは、もちろんノックスの十戒を指しているんだろう?」

「……そうです」

ノックスの十戒。
推理小説が好きな人なら誰しも聞いたことがあるだろう。
『陸橋殺人事件』等で知られるロナルド・ノックスが、
推理小説において遵守しなければならないルールとして
明文化した、10の項目。
日本でも江戸川乱歩の著作等でその内容は紹介されている。

簡単にいえば、こんな感じだ。

1・犯人は物語の初めから登場している人物でなければいけない。

2・探偵方法に神託などの超自然力を持ち込んではいけない。

3・密室に秘密の通路や抜け道を用いてはいけない。

4・科学上未確定の毒物を登場させてはいけない。

5・中国人を登場させてはいけない(西洋では神秘的な存在ととらえられた)

6・探偵の直感で事件を推理してはいけない。

7・探偵自身が犯人であってはいけない。

8・読者が知らない手がかりで解決してはいけない。

9・ワトソン役は自分の判断をすべて読者に知らせなければいけない。

10・双子や変装による二人一役などは、あらかじめ読者に双子や変装が
   得意な人物の存在を知らせた上でなければ用いてはいけない。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「意味など何もないはずですが……どうしてもノックスの十戒のうち、
いくつかが今回の事件で意図的に破られているような気がするんです」

「ふむ。良い感じだね、ワトソン君。たとえばどんな例があるんだい?」

「まず探偵さん、あなたです。ミステリーの神の神託で、ここにやってきた、
と言ったじゃないですか。それに事あるごとにあなたは直感で推理をする。
これが推理小説なら、十戒の2と6を犯しています」

「面白い。続けてみたまえ」

「老夫婦は中国の方々でしたから、5に違反。『肉塊落』なんていう薬は、
現代科学上、公になっているものではありません。だから、4の違反です」

相変わらず、探偵は厭らしい笑みを満面にたたえている。

「そして、10。殺された彼女に双子の妹がいたなんていう話は初耳ですし、
弟の女装に至っては話になりません。完全なルール違反です。」

こうやって話をしていても、いまだ私には事件の真相が見えてこない。

「部屋ごとエレベーターですって? 秘密の通路、ここに極まれり、ですね。
十戒の3は完全に無視されています。それから、8ですが、読者が知らない
手がかりも何も、手がかりなんて全くといっていいほど提示されていない。
私が部屋で見つけたマザー・グースの額も、聖書や鏡の茶色いしみも、そして
壁の放射状のひび割れも、手がかりのようでいておそらく事件には全く無関係だ。
だから、8はルールとして全く機能していない」

「もう1つ、僕のほうから付け加えよう。十戒の9だ。ワトソン役の君は、
この事件がノックスの十戒に対する違反という、いわば逆見立てと気付いて
いながら、なかなかそれを口にしようとはしなかった。これが小説なら、物語は
君の一人称で書かれているはずだね。つまり、君は読者に自分の判断を知らせて
いなかったことになる。だから9も破られているわけだ」

「そうですね。その通りです」

こんな馬鹿馬鹿しい見立てが、私の彼女が命を落とした事件の真相に
つながるというのか?
事件は真相の解明へと突き進んでいるのかもしれないが、私の気分は、
それに反比例して暗黒の闇へと深く沈んでいく。

「さあ、ワトソン君。残る十戒は2つ。1と7だな」

「……1、犯人は物語の初めから登場している人物でなければいけない……
この事件の後半から登場した人物はただ1人です。……そして7。……。
ノックスの十戒すべてが破られているのだとしたら、彼女を殺した犯人は
探偵さん、あなたしかいません」

探偵は、ゆっくりとしたリズムで拍手をした。

「お見事。完璧だね」

「……教えてもらいましょう。こんなくだらない見立てに、どんな意味が
あったというんですか? 百歩譲って、気のふれたミステリーゲームに私たちが
巻き込まれたのであったとしても、論理的な推理も緻密なトリックもない。
挙句の果ては聖典・ノックスの十戒総破りだ。本格ミステリーファンなら、
ここまで読んで本を投げ捨てるでしょうよ」

「それじゃあ、こちらから質問させていただこう」

「なんですか」

「本格ミステリーとは、いったい何ですか、上清水先生?」

と、その男は言った。

どういう意味だ? こいつは何を言っているのだ?

「先生とはどういうことですか。私は医者でも教師でもありませんよ」

「ワトソン君、いや、上清水君。君は将来、本格ミステリー至上主義の作家
として、推理作家を目指す気鋭の若者たちにとって大きな障壁となることを
運命づけられているのだよ。ミステリーのルールは厳格に遵守し、謎の解明は
あくまで論理的に、と主張する。そこにホラーやSFやメタミステリーの要素が
入ってきたものは、邪道として容赦なく切り捨てる。そういう作家にね」

「私が作家になる? それもミステリー作家に?」

「そうだ。君は日本のミステリー界を背負って立つ大家になる。しかし、それと
同時に、本格にこだわるあまり、ミステリーの発展を阻害し、若く革新的な
才能の芽を摘んでしまうことになる」

探偵が話す言葉の10分の1も理解できない。
しかし、えもいわれぬ使命感が私の中で頭をもたげつつあった。

「文学界にミステリーの神は実在する。その神が私に神託を与え、この場に
派遣したのは、本格ミステリーとはいったい何なのか、それを将来の大作家・
上清水一三六青年に深く考えさせるというのが目的だったのだ。いや、目的と
いうよりも、それこそがこの事件の真相なんだよ。ノックスの十戒にことごとく
唾を吐きかけるという究極のアンチミステリーを君に提示することがね」

言葉が出ない。
こんな時に用いる言葉など最初からないのかもしれないが。

「この事件が、君にとってどう作用するのかまでは、僕は知らない。ミステリー
の神ですら、それはわからない。上清水先生が本格という言葉の解釈に幅広い
可能性を持たせるようになるのか、それとも逆に徹底的にロジックとトリックへの
こだわりが強化されてしまうのか? いずれにせよ、作家・上清水一三六の
アイデンティティとなる『本格魂』に大きな影響を与えることだけは、もはや
間違いないだろうね」

ふと、どこからか声が聞こえてくる。
それは遠くからの呼びかけのようでもあり、
私のすぐ耳元で囁いているようでもあった。

「さあ、もう一度問う。上清水先生、本格ミステリーとはいったい何ですか?」

しかし、もう探偵の言葉などに、私は耳を傾けてはいなかった。

どこからか、別の優しい声が聞こえてくる。

私は、理不尽な、極めて理不尽な理由で愛する彼女を奪われた。
彼女の死に与えられた「意味」は、私にとって「無意味」と同義語だ。
この事件の真相など、とうてい受け入れるわけにはいかない。
彼女のためにも。私のためにも。
私は、いつか必ず、彼女の死に、誰もが、そして私自身が納得できるような
説明を、解釈を、理由を、真相を与えてやる。いや、与えなければならない。

本格ミステリーとは何か?
それは、今回の事件に私が新たなる解決をもたらすことができた時、
私自身にもその答えが見つかるのだろう。
彼女の死にいつの日か私が与えるロジック。それが「本格ミステリー」だ。



私はここよ。
ここにいるわ。

ずっといる、私はここに…。
とても暗くて湿っぽくて。
私はただじっと待っている。

もしもいつの日か誰かが。
私を見つけてくれたのなら
私は、きっと…

私はここいにいるわ…




「彼女」は、ずっと私・上清水一三六に呼びかけていた。
混沌と静寂が支配する闇の世界から。
そしてその声は、ようやく私に届いたようだ。

私は「彼女」を必ず見つけてみせる。
私の残る人生、すべてを賭けて。




闇から呼びかける「彼女」の名は、「本格ミステリー」――。



 ~終幕~
by lifeblood | 2005-03-29 02:01
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